カンパリオレンジを飲み干せ

めざせ1日1エントリ

何者でもなくても

今日のあいさつ

みなさんこんにちは、べにぃです。
今日もアクセスありがとうございます。

みなさんは自己実現についてはいかがお考えでしょうか。
子供の頃、どんな大人になると思っていましたか。
どんな仕事をするのか、どんな性格にないっているのか、想像したことはありますか。
そして今現在のあなたではどうですか。
どんな人間になりたいか、10年後、20年後の自分はどんな姿か。
人生を終える時は、いったいどうなっているのだろうか?

今日は子供の頃の夢と今の自分が考える自己実現について考えようと思います。





何者でもなくても


先々週くらいだろうか、プリキュアがバズっていた。
HuGっと!プリキュアの第19話「ワクワク!憧れのランウェイデビュー!?」
男の子がお姫様になってもいい!というあれである。
性別にとらわれないスタイルを肯定した強いメッセージが視聴者に強く響いたのだ。

私も今年のプリキュアは毎週見ているのだが、その話に限らずメッセージ性の高いお話が続いていて、
シリーズ15周年を飾るにふさわしい気合が入ってるなあと思う。
ともっともらしく書いてはいるが、
実際のところは毎週
「今週もよかった……グッときた……いい話…最高……心にくる……マジエモい……」
と語彙のないおおきなおともだちと化しているだけだ。

個人的にHuGプリに感じるのが、「何者でもない自分が生きること」のメッセージだ。

キュアエールの「はな」は、さあややほまれ、えみるのように何か華やかな特技があるわけではない。
アンドロイドのルールーのようになんでも器用にこなせるわけでもない。

だけど誰かが頑張っていたら、苦しんでいたらひたむきに応援する、肯定して受け入れる。
えみるが兄に自分の好きなものを否定された時のように、
誰かの気持ちが理不尽に否定され、踏みにじられたら強い言葉で立ち向かう。

時に何も成し遂げられていない自分に苦悩し、元気を無くして涙することもあるけど、
なりたい自分になるために自分ができることを努力し続けているのだ。




私たちはプリキュアではない。
セーラームーンでもぴちぴちピッチでもおジャ魔女どれみでもない。
孫悟空でもモンキー・D・ルフィでも浦飯幽助でもなければ、
ウルトラマンでも仮面ライダーでも月光仮面でもない。

それが自明の理だとわかるのはおそらくもう少し大人になってからだろう。
だけれど多くの人々がが何かヒーローに憧れて、ああなれたらな、と願ったのではないだろうか。

しかし、その自明の理がわからぬままの子供たちが、
セーラームーン仮面ライダーみたいにすごいことができる「誰か」になれない、
「何もできない」自分をどう思うだろうか。

人類の中で、
何者かになれる人となれない人は、どちらが多いだろう。
人目をひく特技で結果を残す人と、そもそも特技なんてないという人とでは、どちらが多いだろうか。
なりたい自分になれた人と、なれなかったと思った人とでは、どちらが多いだろうか。
生きているうちに自分は「やりきった」と思える人と、そうでない人では?
きっといずれも後者だ。
そして我々は、もし自分がなりたくない自分になっても、何者でもないことが悲しくても、
自分の人生を生きていかないといけない。
自分なんて何にもない、と悲しんでも明日になればお腹がすくしうんこが出るのだ。

では、たくさんいると仮定される「後者」の人たちは、現状で何事も成し遂げられない自分を悔いて生きるしかないのか?
それは否である。



HuGっと!プリキュア第11話の中ではなは、さあやとほまれが仕事をそつなくこなしているのに対して、
何も役に立つ仕事ができていない自分に絶望し、周りが見えなくなるほど落ち込んでしまう。

しかし、その落ち込みの中で慰めてくれた母の話や、
はなのひたむきな姿に救われてきたさあや、ほまれの言葉に、自己肯定感を取り戻す。
そして再び立ち上がった戦いの中で自分のなりたい姿、自分のなりたいプリキュアを見つけて強くなるという、
はなの心の成長を描いたシーンは、とても強くて美しくてかっこいいシーンだった。



何者になれなくても、これから何者かになることはできる。
そしてその何者かというのは、誰かなどではない自分のことである。
何者かになるというのは、自分を作っていくということだと私は考える。

何者でもない自分に不合格の烙印を押してしまいたいような、苦しい気持ちもあるかもしれない。
だがその苦しみに従順になると、時間がそこで止まってしまう。
苦しみに呪われて、本当に何もない、何もできないというさらなる苦しみが自分を襲ってくるだろう。

華やかな特技を持つことだけが、人生ではない。
何者かになれずとも、自分をなりたい自分にすることはできる。

何も成し遂げられなかったと思えても、どこかに結果は落ちていて、
何者でなくとも、何もできないと思えても誰かが救われていることもある。
そして何者でなくとも、これから何者になるかなんでも決めることができる。

その何者というのは、他でもない自分自身で、探さないと見つけられないのならば、
自分でつくっていくほかない唯一無二のものなのだから。


今日の〆

なにがなにってもうさあ、今年のプリキュア、すごくいいよね!という話をしました。
自分のやりたいことに向かって努力するさあやとほまれも、
自分のやりたいことに迷い、そして見つけることのできたはなも、とてもよかったねえ〜うっううっと泣きながらテレビを見たことを思い出しました。
えみるとルールーのことも、お互いの存在がきっかけで自分の心の中で抑圧されていた枷が外されたように感じられたのが本当によかったねええ〜〜〜〜〜ふたりがましぇりとあむーるでよかったよおうううっ〜〜〜〜〜ととりあえず今日の寝る前に見てまた泣きました。

いくつになっても、どんな自分でありたいか、という気持ちをもち、その実現のために行動するというのは、
難しいけど忘れないでいたい。
そして誰かの人生や生き方を貶めることなく、なるべくがんばれーと言えるようでありたい。

スタバやコメダに気が向いたらいつでも行ける財力が持てる大人になりたい。
できれば石油王になって(ここで文章は削除されました。)

みなさん今日も読んでくださりありがとうございました。
明日もぜひよろしくお願いいたします。

べにぃ

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