カンパリオレンジを飲み干せ

めざせ1日1エントリ

批判力の芽生える頃

今日の挨拶

こんにちは、べにぃです。
今日もアクセスありがとうございます。

みなさんは何かに憤りや不満、を感じること、改善案を抱いたことはありますか。
また、そんなことに遭遇したときは、すぐに気がつけますか。
何に憤り、何が不満で、どうしてほしいのか、どうしたらいいのか、考えることができますか。

今日は何かに反発する気持ちについての話をします。




批判力の芽生える頃

私はイエスマンだった。
というより、イエス判定のゾーンが極度に広くて、自分の中でノー判定を出す基準がちょっとガバガバだった。
基本的に公の場で偉い人に言われたことには逆らわないし、逆らう理由は別にないと思っていた。
平和ボケだろうか、獣的に考えると牙を抜かれていたのだろうか。
いや、単純に学がなかった。
今もあるかと言われるといやそんなことはないですがという程度の学ではあるのだが、なんというのだろうか、判断力を養うための学びがちっとも育っていなかったのだろう。
言われたことを言われた通りにさえできていれば誰も怒らなかったし否定しなかったので、最もコスパが良くて安全に生きられる方法を選んでいたのかもしれない。

親や先生のいうことには基本的には逆らわない。
先輩はもっと関わるのが難しくて、できれば距離を置く、否定しない、逆らわない、へりくだる。
なんと卑劣で矮小な人間性だろうかと思うが臆病者の私はそうすることで自分の精神を閉じ込めて保護していた。

自己判断は迷惑。
自己判断しない生き方。

それが信条みたいなところがあった。



思い出すのは小学生時代の学級会である。

小学生の頃、クラスの目標を決める学級会が毎月あって、司会の当番は持ち回り制だった。
私はその時間がたまらなく嫌いだった。
誰も発言しないからである。
能動的なメンバーが誰もいないクラスの中で、何かを発言したら厄介なことを誰もが知っていた。
発言した者は全ての不具合の的になる。
未熟な児童たちの起こしたことの責任を取らされるのだ。

ちなみに誰もが目標を守ることなど忘れてやりたい放題に生活するので、
担任が「今月の約束はどうした!少しは気をつけろ!いい加減にして!」など怒ると、
「そんなのあいつが言っただけだからしりませ〜ん」「なんであんな面倒臭い目標にしたんだろうね……いいこぶってるのかな……ひそひそ」といった消極的な不満が垂れ流されるという具合だった。
担任は児童たちに成長して欲しくて基本介入しなかったのだろう。
高学年だったし児童同士のやりとりと発展を見守っていたのだと信じたい。

しかし能動的な児童にもたらされる結果は孤立無援である。
受動的なのが安全なのだ。
なんと向上心のない集団だろうか。
6年間ほとんどメンバーは変わらなかった。過疎地には人がいない。

別にふるさとをdisりたいわけではないのだが、いかんせんそういう一面もあって、私はそんなやる気のない沈黙が面倒だった。
しかし私もまたその受動的で消極的で何より未熟なメンバーの1人だったのである。

私は楽になりたかった。
待ちわびていた学級会の司会当番が来て、定型のあいさつをして、
「今月の目標について、案のある人はいませんか」と問いかけた。
もちろん誰も手を挙げない。
ここまで予想通りである。
私は打開したかった。
そして終わらせたくて言った。

「わかりました。では今月の目標はなしです。これで学級会を終わります。」

誰も守らない約束など必要ないと思っていた。
毎月10分から20分沈黙、お調子者の男子児童が適当に手を上げて何も考えてないだろそれ、といった具合のとっても年相応で道徳的で無刺激で一般的な目標を挙げる。
誰も意見しない。挙手をとる。終わる。
たまに担任が「もう2つぐらい欲しい」と要求したときは似たようなキャラクターの男子児童がちょっと的外れな目標を出してそちらには票が入らず無難にまとまるという流れだった。
つまんねえ〜〜〜〜〜何がおもろいんじゃそれ。と私は毎月思っていた。
だったら何か言えよという話だが私は自己保身を大切にしていたので矢面に立つのは面倒だった。

そういうわけで私は会を〆た。
誰も何も言わなかった。
「えっ……それはアリなのか……?」という空気は出していたが発言はなかった。
誰かの返事を待つことはなかった。
私は教壇の前に座るのをやめ、自分の席から持ってきた椅子を持った。
席に戻ろうとしたところで、担任が「いやちょっと待ってください」と私を止めた。
そりゃあさすがにアカンのである。
私も今は大人なのでさすがにわかる。

そこからの流れはもういつもと似たようなもので、私ももうどうでもよかったのであまりおぼえていなかったのだが、
Yくんという、両親が教師のほどほどに賢くてお調子者の児童が何か意見を出してその目標を今月の学級目標にしたような気がする。
それが小学5年生か6年生の頃で、卒業するまでの間、30人いるクラスの学級会の司会は私にはもう回ってこなかった。

小学と中学の9年間、学級会だとか、クラスの全員で何かを決めるという集まりがある時はもうほとんどこんな調子だった。
誰もが何かの責任をとりたくなくて、何も発言しなかった。
誰もが向上心よりも目先の快楽を気にしていたので(個人の所見です)、公に前向きで善良な意見を出すと嫌がられた(個人の認知です)。



自分の内向的な性格も相まってそんな調子で育ったものだから、
私は何かについて自分の意見を述べたりだとか、判断を下したりという経験が極端にないまま大きくなってしまった。

困ったのは大学に入ってからのことである。
大学というのは悪い意味でイエスマンだと生きていくのにめちゃくちゃ困る場所である。
言われたことを鵜呑みにしているだけでは単位も取れないし下手したら卒業もできない。
私は社会福祉を専攻する学科に在籍していたのだが、事例の検討だとか、障害者福祉の歴史だとかでレポートを書いたりディスカッションしたりという場面で大変に苦労した。

何を聞いたり見たり読んだりしても「まあ、そんなもんでしょ」以上のことを考えられなかったのだ。
よりよくするためにあなたはどう考えるか、みたいな意見をしばしば求められたのだが、もうさっぱりだった。

とてもよく覚えているのが、演習の講義のことで、
「地球の環境を蹂躙し尽くした人類は地球を脱出して別の星で暮らすこととなった。宇宙船の定員は3名。優秀な人材を厳選し搭乗させるがあなたなら誰を選ぶか。次の者たち6名の意見を聞いて考えなさい」みたいな課題が出されて、答えを出すことができなかった。
いや、正確には答えはあった。
「誰も乗るな。人類なんて全員なかよく地球で滅亡してしまえ」である。
たしか出されたメンバーは医者と科学者と教育者と数学者とあと誰かと誰かみたいな組み合わせだったのだが、
誰もが自分のことしか考えず、地球の環境を蹂躙し次は他の星に行くという段階で互いの足を引っ張り合う主張しか載っていなかったのでますますそうとしか思えなかった。なんでこんな奴らを生かさなくてはならないのだ。

だが、これを人と人が手を取り合い助け合い生き、ノーマライゼーションの理念のもと、誰もが普通に暮らせる「よりよい(welfare)」な世の中を目指しましょうみたいな勉強をしている場の講義で正直に言えたものであろうか。
私は非常に病んだ。
だがそれが福祉だった。時に善良で時に残酷だがどんな障害があっても、どんなに性格が悪く思えても、誰もに生きる権利を保障するのが福祉なのだ。(個人の意見です)

講義は1つのテーマを2回1組で行うシステムをとっていて、
この課題についても1週間宿題として考えて来週の講義で発表し意見を交換しましょうという形だったのだが、
講義のことを考えると舌下から塩気のあるつばが出てきて頭がグラグラした。吐きそう。

表向きの建前意見を取り繕う気持ちにすらなれず、
そんな場で自分の意見を言えずに次回の講義に出席することを想像するともう卒倒しそうだった。
というか実際に卒倒してサボった。
結局似たようなことがもう2回ぐらいあって、そのうちもう1回もサボった。

残りの1回のことはよく覚えている。
チーム戦で、「障害者が暮らす施設を立てたい社会福祉法人の担当者vs施設が近所に来てほしくない地域住民の現地説明会」いうロールプレイをするという演習だったのだが、
全員建前しか言わないので担当の教官に「みなさんやさしすぎますね」と嫌味を刺されたのが忘れられない。
ちなみに我々はずっと「あなたたちは真面目ですね」としか言われなかった。
逆に言えばいいこちゃんで振舞うこと以外いいところを見つけられなかったのだろう

誰もが互いを知らず、互いを信用していなかったし、
何より現実を知らなかったので、当たり障りのないことしか言えなかった。

模擬演習でこの調子だ。実際の現場で適格に働くことはできるだろうか。いや働けない。
現実はもっと理不尽で厄介である。

高校生時代を遊んで暮らした私には知識と経験が極端に欠けていた。
さらに勉強慣れしていないものだから、
急にあらゆるものを大量に覚えなくてはいけない環境に脳がキャパシティオーバーを起こしていたのかもしれない。
覚えることにも考えることにもレベルが足りていなかったのである。

そのような環境と状況が重なり、私は評価のできない自分、判断のできない自分、思考のできない自分、取り繕うことのできない自分に気がつき、危機感を抱いた。
抱いただけである。
なんかやばいことは知っていたが、それを解消するためには苦痛を伴う努力で補わなくてはならないことも知っていた。
そして私は苦痛を回避したのである。
「はあ〜〜やばいよね〜〜ほんとだめでさ〜〜〜」とイキりちらかしながら私は毎日遊んで暮らした。
こういった本質はずっと変わっていないのでもう一生変わらない性根なのかもしれない。

それでも3年ぐらい講義の単位を落とさないように過ごしているとある程度の知恵はついてきて、
学業に限らず、「自分の意見」を持つことが少しずつできるようになってくる。
もしかするとそれはチリのような生存のための努力が積もった結果というよりは人間の心理的な発達の段階に見られる現象の1つだったのかもしれないが、
なんにせよそうなってくると今度は「何かに物申せる自分」にたまらなく陶酔してしまうのだ。
何かに対して、批判的な目線を持つことができる、それがたまらなく喜ばしいのである。
スラングで例えると「俺TUEEEEEEEEE」の気持ちに近い。
先述のような背景で「意見を言えないどころか批判する気持ちも持てない自分」「建前の意見も取り繕えないダメな自分」を自覚していた背景もあり、
批判力を手にしたと気がついた時、さながら強大な闇の力を手にして主人公の前に立ちふさがるかつての親友ポジションのキャラみたいな気持ちだった。
とにかく目に付いたものに批判というか、とにかく何にでも自分を正当化する理屈をこねて文句を言って、
私は自分の意見や立場を持っているんだぞ!と誇示してたまらなかったというか。
遅れて来た2度めの中2病、大2病というか。
実際にそれが原因でゲームの掲示板で喧嘩騒ぎを起こしていろんな人に迷惑を掛けたり、
Twitterでもフォローしてくれた人を不快な気持ちにさせてしまったこともある。
だが、その時はそんなことにちっとも気がつかず、むしろ自分の正しさを理解してくれないことに憤っていた。

話がとっちらかってしまったのだが、
判断で失敗したり、判断の未熟さで苦しんだりした後に芽生えた批判力みたいなものを得ると、
それに陶酔して辺り構わずに誰かを貶めたりしてしまうことがあったりして、大変青臭いこともあったなあという話だった。

そういうわけでTwitterで突飛もない批判をしているアカウントがあったりすると失礼だとは思いつつもついつい「ああ、批判力がまだ赤ちゃんなんだなあ」と微笑ましい気持ちで見てしまったりする。
インターネット上では誰もが年齢や立場など関係なくというか、隠して意見を言えるために、まだ未成年ないし学生が述べた意見が大人の成熟したそれと全部一緒くたにされて同じ土俵で批判されて炎上、なんてこともたまーにある。
そこで優劣というか、上下関係みたいなの(うまく当てはまる言葉が見つからない)をつけてしまうと、インターネットのメリットが台無しなのかなと思わないこともないが、
もうインターネットはパソコンに明るい人のものだけではなくなって、まして考えの成熟した大人だけのものではなくなった。
便利になった一方で、インターネットの中で未熟さが招いた失敗は誰が教えて誰が正してくれるのだろうか、
現実世界より孤独な炎上を、水のかけ方すら知らない人間が一人で鎮火するのはいったいどんな気持ちなのだろうかと考えたりする。
共に火を消してくれる優しい人間がまったくいないわけではないが、水のかけ方を知らない人間がいること、
また、水をかけなくてはならないこと自体を知らない人間もまた多いなと思う。
現実世界では間に合わないネチケットの需要はいったいどこで供給されるんだろう。

とちょっと偉そうなことを炎上元のツイートとそれにぶらさがったリプライのツリーを眺めて、自分の過去と恥を思い出してちょっと戒めの気持ちに入ったりしてしまうのだった。


今日の〆

自分の言葉でものを言えるのは自分だけの武器が得られたみたいで嬉しくなっちゃうけど、
武器の振り回し方を教える場所はまだまだ足りてないのかもね、
という話をしました。
たぶん。

今日も読んでくださりありがとうございました。
明日もよろしくお願いいたします。

べにぃ

子どもたちに最高の居場所づくりを