カンパリオレンジを飲み干せ

めざせ1日1エントリ

環境と習慣

今日の挨拶

こんにちは、べにぃです。
みなさんは1日に何回食事をとりますか。
一般的には朝昼晩3回食べましょうとか、夜は20時だか21時より遅いと太るとか、江戸時代は朝晩だけだったのでおやつという習慣が生まれたのだとかいろいろな言説が飛び交っています。
何年か前読んだ本では有名な学者の先生だったでしょうか、
『思うところあって食事の回数を減らした。
今は1日1回で済んでいてその方が体調がいい、結局自分に合った回数食べればいいのだ』
とか書いていたものですからさすが日常的に学問に携わってきた人は発想が柔軟だなと関心しました。
私は日々ご飯は1日3回食べるのは当たり前で、それが覆ることはないと思って生きてきたので、こんな柔軟に習慣を変えられる人の存在を知り新鮮な気持ちになったのです。
ということで今日は食事というか、料理についての愚痴話をします。
昨日「続きを読む」機能の便利さに恐れ入ったので今後も積極的に使っていこうかと思います。




料理をするのが面倒だ。
こんなことを書くと女子力低いと評価されるな、と世間の顔色を伺うのは悪い癖なのだが、それでも料理って面倒だった。
私は春に2度目の1人暮らしを始めた。
以前に1人暮らしをしていたのは大学生時代に実家から離れた土地に進学して以来である。
その時は2口分のガスコンロを置ける部屋を借りてもらって、流し台とコンロの間にまな板を置くスペースも十分あり、
そこで包丁を使って材料を切ったし、食事の後は洗い物も置けたので便利だった。
かといってしょっちゅう料理をしていたわけではないのだが、それでも夜な夜なシチューを煮たり、片方で炒め物をしながらもう片方で味噌汁を煮ておく、ということができたので些細なことだがコンロが2口あるって便利だなと重宝がっていた。

しかしそれも精神的に調子が良かった時の話である。
メンタルバランスを崩して教官から両親を召喚されてしまった頃はもう部屋は汚いし材料を買いに行く気力もなく、
毎日コンビニのパンとかをかじっていた。
余談にはなるが北海道に住んでいたのでセイコーマートの100円のパスタとかばっかり食べていた。
www.seicomart.co.jp
こちらをご覧いただくとわかるが、当時はこのページにある「和風豚焼きうどん」と同じ容器にミートソースだとかカルボナーラだとかがみっちり入って100円しかしなかった。
それに100円のサラダをつけて食べたりしていたのだ。

前回アパートを引き払う直前がそんな状態だったもので、
今回は必要最低限の設備があればよかろうという気持ちで部屋を探した。
そもそも実家までは車で1時間の距離で、父も長年同じくらいの距離を通勤していたのでアパートはどうしてもというときに泊まるシステムにしようと考えていたのだ。
結局いろいろあって実家にはたまにしか帰らないことになったものだからこまったのはキッチン周りだった。
今回のアパートの調理はガス火ではなくIHで行う。しかも1口分のスペースしかない。
前回の1人暮らし末期の直前には毎日野菜と肉を入れたスープを作ってご飯にかけて食べていたのだが、
今回もずっとそれでいくと仮定した場合、コンロ2つもいらんやろと思ったのが仇になった。

まずまな板を置くスペースがない。スープを作る時に野菜やらソーセージやらを切るスペースがないのは面倒だった。
コンロ下に当たる場所に棚未満の空白スペースがあったので、そこに車輪のついたメタルラック(暫定的名称)を置いた。
その一番上にプラスチックのペラペラのまな板を置いて材料を切ることにしたのだが、微妙い使い勝手が悪い。

車輪がついてるので切るたびにラックが前後に動く。
車輪を止めるには一度かがんでいちいち全部のストッパーをつけなければならないので手間がかかる。
また、物を切る時はかがんで切らなければならず、世の主婦が腰痛に悩み、セ◯ールやベル◯ゾンがお助け便利グッズを開発している世の理を理解した。

あと何より嫌なのが、切ったものが切ったそばから床に散らばっていくことだった。
生活動線の都合もあり、みじん切りの玉ねぎがトイレの前まで飛んでいく。
丸いウインナーを輪切りにしたら玄関の方まで転がっていった。
書いていてネガティブな話ばかり出てきてちょっと続きを書くのを逃避するぐらい日に日に嫌になってきていた。

また、コンロが1つ分のスペースしか用意されていないので、
例えばフライパンで主菜を作るのと並行して汁物を作る、みたいな時短作業ができない。
1つ作ってあつあつの料理を置く場所がそばにない。

キッチン周りをケチるとこんな弊害がでるのか。
せめてまないたを置くスペースを用意するべきだった。
自炊のモチベーションが下がると経済的に悪影響だ。
それに外食が増えると健康に悪い。

学生時代はそれでも腹が減るのでしばしば出来合いのおかずやら外食チェーンやらを活用していたが、
今回については食事に億劫さを感じて食事の回数も量も減った。
外での食事や惣菜の塩気の強い味や油っ気を想像してげんなりする日が来るとは思わなかった。
これが噂の歳をとると感じるという胃袋の老化現象の序の口なのだろうか。
それに重なって月経前なんかはホルモンバランスが崩れるのか外に出て人目につく可能性を感じたらひどくストレスを感じてどんよりどころの騒ぎではなかったのだが、それはまた別の機会に話をしたい。

そういうわけで、このような要素が重なり、最近は料理をするのも食事をするのも面倒になってしまった。
環境を整えることを怠った結果だ。
環境整備を怠り、モチベーションの方向性が代わり、結果として習慣が変わった。

私は1つの作業について、嫌だと思ってしまったが最後、
よっぽど他に阻害するものがない限り、重要度の高低に関係なく作業へのモチベーションが大きく下がってしまう。
基本的に、その嫌な作業をせずとも、もっと便利に快適に目的は果たされることを知っているからだ。

不便な環境で料理しなくたってスーパー行けばお惣菜もカット野菜も売ってるじゃん。
包丁が面倒ならキッチンバサミあるじゃん。
そもそも毎日3食とらなくたっていいじゃん。

いずれも環境と習慣の変化がもたらした結果だ。

私の実家は大変に保守的な家庭で、
教科書的な生活習慣と規律を守って暮らすことが当たり前だと抑圧されて育ってきた。
不要だったり苦痛だったりに感じても身につけるのが当たり前だと押し付けられて放り出されるのが嫌だった。
そのまま大人になってしまった自分については、努力を怠る愚か者だと自己評価する。
しかし、最近、努力に苦痛を伴うという前提がそもそも間違いなのではという言説を見かけて、少し考えが変わった。

毎日3食、然るべき時間にきちんと摂りなさい。
食べるものはできる限り自分で食材から料理しなさい。
キッチンバサミ?わざわざ使わなくたって包丁があるからいいでしょう。

もちろん教科書的な生活習慣や規律が広く正しいことと一般化されて広められていくことの所以はわからなくもない。
先人の経験知が集まった結果、なんだかんだそれがいいんだとまとめられてできあがっただろうということがなんとなくわからないわけではない。
しかし、それらすべてを禁欲的に厳守するだけの選択肢しか与えられないので大変に窮屈だった。
普通にしなさい、きちんとしなさいと言われはするが、
幼い頃より「普通とは何?きちんとってどういうこと?」と尋ねると、
決まって家族の誰もが口を噤むのでかくして疑問は深まるばかりでこんな歳になっても未だにどこかで縛られている。
正しさはわかる、一方で私は私に合った選択肢を自分で採りたいと感じ続けて大人になった。
経済的に可能な範囲で環境を整え、自分に合った習慣と生活を営んで行きたい。
社会は変わる、普通も当たり前もきちんとの形も世の中と共に変わっていく。
自分を律しながら、自分に向いた暮らしを作っていけたらいいのになーと夜更かしを楽しみながらこんなことを書いている。


今日の締め

ご飯作るのがめんどくさくなったら食事をとるのもめんどくさくなったのは年のせいだな、という話をしようと思っていたのですがそれだけだとなんだかなと見栄を張って環境が習慣に結びついてナンチャラとかかっこよさげなことを書いてみました。
私は大学に入学するまでは専門用語でいうところの「医学モデル」的な考えに取り憑かれていて、
自分の不出来の結果については自分の愚のいたすところだと己を責めてばかりいたのですが、
福祉関連の講義を受けていたら、問題の原因は必ずしも当事者本人のみにあるものではなく、時として当事者の周囲を取り巻く人間、ひいては学校や会社、地域といった環境にも原因は潜んでいるのだということを知り、コペルニクス的転回に遭遇した気分になりました。
これは医学モデルと区別して「社会モデル」的な考えというのだそうです。
ソーシャルワークを勉強すると社会モデル的アプローチを!とかいわれてました。今もどうかはわからないけど。
そしてそれを自分の怠惰に結びつけてもっともらしく述懐したのが今日の話でした。
さすがに最近はレベル上げを怠る愚かさを悔いてできる範囲で努力しようとしてはいます、いますよ……

と逃げの姿勢を打って今日は終わります。
お読みくださりありがとうございました。
明日もよろしくお願いいたします。

べにぃ