カンパリオレンジを飲み干せ

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驚けない素顔はどうできあがったのか!低刺激!べにぃの過去その5

今日の挨拶

こんにちは。べにぃです。
今日で昔話は終わります。
学生時代が終わってから現在までの話です。
早速どうぞ。




肩書きがない時代

大学を卒業して私はいよいよ無職になった。
あんなに自業自得な所業を繰り返しておきながら私は心のどこかで適当にどこかに就職して正社員になってだらだら働くのではという甘えがあったがもちろんそんなことは叶わなかった。
月に1度の通院とカウンセリングを続けながら在宅療養が続いた。
就職活動をする気力もしばらく湧いてこなかったので寝て食べて寝て食べて寝るような暮らしを繰り返していたのだが、
家族には資格を取ってみろだとか、ハローワークは、この職種はどうだだとか、良性の腫瘍があるから切除してしまえというのと同じテンションで早く全部病気を治さないと就職は認めないだとか色々せっつかれていたので常に精神的には余裕がなかった。
精神的に調子を崩した人間にとって、将来の展望を急かされること、治療を急がされることというのは予後を悪化させる大きな要因になる。
私はまがりなりにも精神保健福祉の勉強をしていたので、多少は知っていたことだったがもちろん家族にはそういう知識はない。
ぺろぺろな日常を過ごして学生生活を終え、さらに心に元気のない私にその旨を説明するのは大変骨が折れることだった。
最近精神障害者とその家族が暮らす困難と苦しみについてNHKハートネットTVで特集していて、
その時実況のTLで当事者が家族に完璧な理解を得られるように説明するのは病気で具合の悪い時に一流のプレゼンテーションを行えと言ってるようなものという指摘があったのだが、
私がこの例えに適するのかは置いておいてまさにそんな感じだった。
実際両親は今もわかっていないことばかりだろう。

実家に戻ってすぐ、時間ができた私は今まで手をつけていたなかったスマホのアプリゲームにどっぷりはまった。
特定のタイトルを徹底してやりこむというよりは、
手当たり次第に事前登録してつまみ食いしては次のゲームへ、といった繰り返しだったが、
それでもプレイ頻度の高いゲームはいくつかあって、それを通じて仲の良い友人も何人かできた。
私は今までの人生、あまりゲームをしてこなかったので決して上手とは言えなかったが、
精神的にどん底だった時に話し相手にになってくれた貴重な友人たちで、中には何度か会ったり、長期の旅行に行った面々もいる。
さすがに当時ほど盛り上がった付き合いはしていないが、今でも細々と付き合いを続けていられる人間関係ができたのは非常に貴重な体験だった。

そんな様子で現実とインターネット内で口数が乖離した生活を送ってから数ヶ月経って、
かつて通っていた公文式の教室で、丸つけの手伝いをしないかという話がきた。
週に2度ほどだったが、ありがたい申し入れだった。
保育園児から中学生まで、解いたプリントを解答を見ながら正誤のチェックをして、
わからないところがあれば時折相談に乗った。
私は割と扱いづらいとされる子供とも相性が良い場合が多く、そこをしばしば褒められた。

ひとまずは社会で役割を与えられたことにほっとしていたが、
父はしばしば私にいつまでそんなことをしているのかとせき立てた。
私は自分の心の安寧のためにも、もっと地に足ついた職業に就かねばならないのだとわかった。

その頃ちょうど弟は大学受験の時期にさしかかっており、学費の捻出や父自身の定年のことも考えていたのだと思う。
予定では私が大学を出ればそこそこに金の稼げる職業に就き、
仕送りなどである程度の収入を得るはずだったから目論見が外れて焦っていたのだと思われる。

年度の終わりに町のパートで学童保育の支援員の仕事についた。
パートタイマーだったが、私からすれば毎日決まった時間に仕事に行き、時間給でお金がもらえるようになっただけでも大きな進歩だった。
私以外はほとんどの職員が50代前後、良くも悪くも厳しくない現場だった。
1年目に上にいた職員に教えられた仕事が2年目には実はほとんどやってはいけないやり方で成り立っていたものだったり、
井戸端会議レベルの噂で振り回されることがしょっちゅうだったりと色々あったけど、
幸いにも私のいた現場の職員の方は優しくて理解のある人ばかりでとても助けられた。

その間、正社員の学童保育の現場を求めて東京に就職活動に行くも同じタイミングで定年退職する予定だった父親が東京に単身赴任したいと言い出して大揉めした。
正直なことをいうと、父親が定年退職することで収入が激減するので、弟が院進したときのことを考えると経済的に厳しいからお前は早く正社員になれ、病気は根治させろとしつこく言われて始めた就職活動だったのでだいぶ面食らった。
私の弟は私と違い、日々の努力を怠らず、周囲の声に振り回されることなく、健康を気遣ってほどほどの運動も欠かさず、仙人のような鍛錬の日々を送った末、
ちょっとやそっとの努力では受験すら叶わないレベルの大学へ進学したスーパーマンだったので、私は彼を困らせたくなかった。
私には基本的に他人をはねのけてまで実現したい自分の意思というものが全くない人生だったので、せめて弟を「金がないから進学できない」というしょうもない理由で悲しませたくなかったのだ。
結局私は1つ内定をもらえたが内定先が怪しい団体だと激しく罵られたりして就職は叶わなかった。
今思い返せば納得のいく事案だったが、その時は人間性から否定されて止められたような気持ちになったのでだいぶ落ち込んだ。
一方、父は長く勤めた職場を定年で退職し、東京の会社へ転職した。

私はその後もう1年同じ現場で働いたが、毎年勤務体系が変わること、
その度に職員が必要以上に感情的になって自己都合を押し通そうとする動き、それをなあなあに受け入れる体質に辟易していたこと、
もう少し将来性のある現場に行って自分の職業性を高めたいということで転職先を見つけて退職した。
今年の3月のことである。

私は県都にある学童保育事業を扱う現場に転職した。
入社して2ヶ月でやめた。
正確には1ヶ月と少し出勤して、あとは欠勤の後、月末に退職扱いになった。

ここ数年の働きで、
私は自分は子供が好きだから子供に関われる職業が向いているのだと思っていた。
周囲の人間にも何人かそう思っている人がいたので、自分にそういう暗示をかけておくのは都合がよかった。
実際子供は嫌いではない。
往来で子供の姿を見かけると微笑ましい気持ちになる。
私自身扱いにくい子供だったせいか、自分の昔のことを思い出せばある程度面倒だとされる子供にも対応できて、相性も悪くはなかったのだろうと思う。

新しい職場も忙しかったが張り合いがあり、なんとか続けていけると感じていた。
肉体的にはきつかったが、続けていけば体力もついて続けられるだろうという見込みである。
前の職場よりかは業務のシステムが確立し、昇給もボーナスもあるので正社員として仕事をしているのだという実感が伴って安心できた。

しかし現実には肉体はだいぶ悲鳴をあげていて、
入社してから私はお腹を壊して欠勤、欠勤があけたら風邪、風邪が治ったと思ったら喉の慢性的不調、と常にどこかしら具合の悪い状態だった。
子供に関わる現場では、勤め始めは子供から一通り病気をもらって免疫をつけてしまうものだという業界あるあるがあって、
最初にお腹を壊した時もその1つだなと処理していたし、その後の体調不良もこれさえ乗り越えればしばらくは安定した体調で過ごせるだろうと予想していた。

このような肉体的不調には理屈で対処して耐えることができていたのだが、
私は自分がかつて精神的な問題で登校拒否を起こしていたことをすっかり忘れていた。
止めが刺さったのはメンタル面の些細な問題だった。
同期入社の社員とは今後長い付き合いになるだろうと踏んで、こまめに連絡を取り合っていたのだが、
私が休みの前日に書いた報告書が元で、私が不在の間に一悶着あったと連絡が回ってきた。
馬鹿正直な報告書を書いてしまったがために、中間管理職の上司がさらに上に立つ上司に対応の悪手を責められたのだという。
そこまでならば翌日出社した際に一言謝罪して事実確認をしてその後の対応を決めようと思っていたが、
同期の話だと、どうやら中間の上司は私が書いた報告書とは食い違う弁解をしたそうで、
私は自分が休んでいる間に会社の正式な文書に平気で嘘を書く奴みたいにされていた。
結局そのまま私は当時の報告とは違うことをやっていたことにされ、ちぐはぐな解決策が提示されたまま話がふわっと終わらされたという話だった。

私が休んでいる間に、いつの間にか職場もしくは私は別のパラレルワールドに移動してしまったのだろうかと思った。
なんにせよやはり事実確認が必要だと思ったが、
次の日私は出社のために起き上がることができなかった。
2、3日様子を見たが結局だめで、そのまま月末まで欠勤ののち、退職ということになった。

その間一番上の上司とやりとりしたが、どうやら中間の上司が私の報告書と違う弁解をしたのは本当のようだが、
一方で同期も同期でいまいち事実と噛み合わない連絡を私によこしていたことも判明し、
私は軽く人間不信みたいな状態に陥ってしまっていたのだろう。

自分がこんな簡単なことで会社に通うことができなくなる人間だとは思わなかった。
今こうして過去を省みたら、こんな所業の人間が、まあなとも思うがその時は割と本気でそう思い、
自分の心の脆さにほとほと呆れていた。

ちなみに会社を休み始めたら体調不良は嘘のようにピタリと止まった。

再び職のない生活が始まった。
一人ぐらしまで始め、膨大な諸費用がかかったのに、収入が途絶えた。

もうしばらくどこかに出社して、他人と顔を合わせ、業務をこなし、給料をもらう生活は厳しそうだった。

2週間ぐらい、近所の動物園に行ったり、図書館や本屋に行ったり、一日中眠ったりしながら過ごした。
実家暮らしと違って、誰にも干渉されないが、誰にも世話されない環境に身を置けたのは幸運だった。

そんな折、頭をよぎったのはインターネットを通じて在宅で仕事を請け負うという手段だ。
クラウドソージングと呼ばれるそれは、使い方を誤らなければいいお小遣い稼ぎになるし、
努力次第では食い扶持にもなるという話をいつか耳にしていたのを思い出した。
ちょうど図書館でwebライター指南の本を見つけていたのは偶然だったのだろうか。
アカウントを立ち上げて、ライティングの仕事を探し始めた。
いくつか記事を納品して、定期的に受注できる案件をいくつかもらえたことで、
この業界で続けていく決心がついた。
広報用にブログとTwitterを立ち上げた。




今日のまとめと〆

ようやく今日にたどりつけました。
あとで1ページで見られるようにまとめます。
明日からはぐっとライトなボリュームの他愛もない話をしたいと思います。

今日もお読みくださってありがとうございました。
明日からもよろしくお願いいたします。

べにぃ