カンパリオレンジを飲み干せ

めざせ1日1エントリ

驚けない素顔はどうできあがったのか!低刺激!べにぃの過去その2

今日の挨拶


アクセスありがとうございます。
べにぃです。
前回は過去の私について執筆しましたが、
ダークサイドの思い出ばかりが蘇り自分で自分にデバフをかけてしまうという失態を犯してしまいました。
過去の自分に向き合うことに対する防御体制はだいぶ整えられたつもりでいたのですが、
どうやら月経前でホルモンバランスが崩れていたのも影響してトンチキメンタルになっていたようでした。
おはずかしや。
しばらくダークな思い出は続くのですが自分の心を強く持って執筆したいです。
前回は思うがままに書いたあと頑張って敬体に直していたのですが、
違和感が強かったので今日は書いたままで載せてみようと思います。

いったんばーっと書かせてもらったあとは簡単にまとめて見やすくする予定でおります(しつこい)。
では中学時代編を始めていこうと思います。
よろしくお願いいたします。






中学時代


中学生になった私は吹奏楽部に入部。
私の通った中学校は文化部が吹奏楽部しかなかったからである。
結果的にはそれが大当たり。
木工室で練習していたアルトサックスの音色がかっこよくて絶対この楽器やったる!と決意。
チキチキあみだくじパート決め戦争(倍率3倍)をくぐり抜け希望のパートをぶん取るに就くことに成功する。
Sさんはバリトンサックスに配置され、クッソ楽しい練習室が誕生(主観)してしまうこととなった。
しかし、ここで調子に乗りまくり楽譜の練習をしないで流行りのポップスをやかましく吹き鳴らしたりしまくったので先輩から協調生皆無の生意気クソ後輩として鬼のような反感を買う。
空気が読めず己の欲求ばかりを優先したお猿さんのような一面がはやくもゴリゴリと出てきてしまうのであった。

一方、学業はそこそこ調子がよかった。
小学4年生の頃から公文式で始めた英語の貯蓄が功を奏したのか一番最初のテストで学年1位という成績をゲットできたのである。
そして案の定ここで調子に乗り勉強を頑張ることはしなかったため今後3年、学年で1番になることはなかった。
中の上くらいをうろうろしながらずっと
「どうして1位になれない」「こんな田舎で上の方だからと調子に乗るな。1番ですらたいしたことないのに1番にすらなる気がないなど言語道断」
みたいなことを言われ続ける。
この頃は学校で教えてくれることはそこそこ自分のためになっているように思えたし楽しかったので話を聞いてるだけでわかることが多かったためなんとかなっていたが受験勉強、努力して成績アップといったキーワードに徐々にモチベーションが下がり始める。

お恥ずかしい話だが私はずっと自分のことをスーパー天才お勉強できる人間だと思っていた。
スーパー天才お勉強できる人間なので運動ができなくても大丈夫だし、
スー(以下略)なので本気を出せば東京大学くらいはちょちょいのちょい、
スryなので本当は寝ていてもこの世の全ては理解できるのだ割と本気で思っていた。
しかし自己肯定感を持つことはそれだけで極刑に処されることなのだと私は思っていた。
そしてそれを口に出せば聞いた人全てからフルボッコにされることはわかっていたので黙っていたのだ。
正直ちょっとは口に出して殴られていた方がよかったと思う。


内面の部分では、私は思春期らしく自分のアイデンティティについて悩んでいた。
小学生時代太っていた私は、中学に入って身長が伸び、部活を始めたのを機にすこしだけ痩せたらしいのだが、
自分では相変わらず自分は太っている醜い人間だと思っていたし、
自分がいわゆる「女の子らしさ」を演出することに強い違和感を持っていた。
かわいい服を着る資格などないし、自分のことを「わたし」「あたし」とか言うのもなんだか気色悪く思えた。
(ので結果として自分を「俺」と呼ぶ「俺女」に転がっていったのは中2病の1症状だったのかもしれないが)
そんな折、先述のアルトサックス吹きの先輩がボーイッシュな私服でかっこよい出で立ちでいるのに遭遇し、
世界が180度回転する。
女でもかっこいい服をきてもいい、かっこよくなってもいい、という啓示は私の心を楽にした。
そしてそれは私にとって先輩が、ただの部活で同じパートを担当している先輩だけではなくなってしまった瞬間だった。
1つの悩みが解放された一方、別の悩みが私に取り付いた。
クソ生意気不協調欲求耐性お猿さん以下・元ウイルス・同性・デブ(主観)の私が先輩を好きになってはいけないし仲良しになるのももちろんダメだと必死で自分に言い聞かせ続ける。
その間、いろいろな都合があって突然先輩から当時好きな俳優だった織田裕二グッズをもらいうけたり、
ちょうど2月ぐらいに頂いたものだったもんだからそのお返しでバレンタインチョコをあげることになるも死ぬほどこわくて仕方がなくてしばらくあげることができず母親にこっぴどく叱られたりと色々あったが結局私の激しい思い込みが原因で先輩後輩としてもまったく人間関係は進展しなかった。
他人、特に目上の人間との関わりについて極度に臆病な私はそのまま先輩が卒業するまでの2年間を過ごすことになる。



先輩が卒業し、自分が最上級生になったあと、
今度はMちゃんという同級生との関係に悩まされることになる。
Mちゃんはちょっと家庭事情が複雑な女の子で、絵がずば抜けて上手だった。
私はそんなMちゃんにほんの少しの同情と羨望があったのだと思う。
絵が上手い彼女が羨ましくて、私は彼女に声をかけた。
漫画の話や絵の話をしたりして、結構仲良くなったのだが、問題はその後だった。
ある日突然、私が話しかけても彼女はあからさまにそっぽを向くようになった。
なぜなのかわからず困惑していると手紙がきた。
Mちゃんは私がSさんと仲良くしているのを見て、自分はいらないと感じたそうだ。
私にとってはSさんもMちゃんも大切な友達だった。
どちらかだけ必要で、どちらかはいらないとか、そういう二元論で片付く問題ではない。
私はMちゃんにそんなことを思って欲しくなくて、Mちゃんに優しくした。
しかしMちゃんは私が自分以外の友達と接するのが本当に苦痛だったようで、
その旨を訴えるサインや手紙はどんどん増えていった。
そしてそれに1つ1つ対応していた私の心は疲弊し、私は彼女を突き放してしまった。
Mちゃんは私に少し依存していたのだろう。
表向き、私たちはまったく仲良しではない友達になった。
放課後、吹奏楽部の練習が終わると部員は楽器庫に楽器をしまい、終了のミーティングをする。
他の部員が楽器をしまい、顧問が来るまでの少しの時間、Mちゃんは私を楽器庫に呼び出した。
何も話はしなかった。
Mちゃんは黙って私に抱きついていた。
顧問が入室する扉の音がするまで無言のまま、私とMちゃんは薄暗い楽器庫の中で抱き合っていた。
Mちゃんは私より頭1つ半分くらい背が低く、目線にはいつも彼女のつむじがあった。
家の都合でしょっちゅうお風呂に入れない彼女は、いつもすこしだけ汗の匂いがしたのだが、
私はそれを好きだとも嫌いだとも、良いとも悪いとも思えなかった。

この件について私はずっと自分のことを被害者100%の立場だと規定していた。
ことの顛末を全て誰かに話すことはなかったが、
どこか厄介な友達に執着されてかわいそうな自分だと感じていたのだと思う。
そう思いつめていたある時、友人にぽろりと「Mちゃんもさ、なんかね……」とこぼしたことがあった。
私はそれしか言わなかったので言われた友人もなんのことかわからなかったのだろう。
そのことに気がつかなかった私は友人の怪訝な顔を見て、被害者であることを前提に考えていた自分が恥ずかしくなった。
残酷かもしれないが、Mちゃんにあなたも大切な友達だが、Sちゃんも、他の友達も私は同様に大切なのだ、
あなた一人だけの友達にはなれない、と伝えていたらどう変わっただろう。
そんな言い方でなくても、何か変わらず友達でいられるよう、私は何かしただろうか、と考えたとき、
私は友達を持つのが、必要以上に親密な関係を持つことが非常に恐ろしくなった。
私に友達を持つ資格などないと強く感じたのである。

そしてこの気持ちは今に至ってもなお、心の隅を大きく陣取っている。


Mちゃんとはその後、別の高校に進学した。
Mちゃんの学校の文化祭に顔を出した時に顔を合わせて、
「久しぶりだね」
「そうだね」
と言葉を交わしたきり、もう10年ほど会っていない。





趣味は吹奏楽部だったこともあってか、音楽を聴くことに傾倒した。
1年生の頃はSちゃんの勧めでポルノグラフィティを聴いた。
アキヒトのボーカルがとても好きで、どこまでも突き抜けていく歌声がうらやましくて、
私もあんな風に歌を歌いたいと割と本気で思っていた。
2年生の頃はBUMP OF CHICKENを知って、ポルノとは全然違う歌い方に衝撃を受けた。
ボーカルの藤くんの人生観も好きで、B-PASSという雑誌に連載していた藤くんの記事を読んで感心していた。
ちょうどこの年の秋、FMラジオでSCHOOL OF LOCK!が始まったのもあり、
色々なバンドを聴いて回った。
Syrup16gファンロードという雑誌の読者おすすめ投稿で知り、ネガティブ一辺倒な歌詞に強く惹かれた。
TSUTAYAでCDを借りて聴いたフジファブリックは桜の季節のイントロが衝撃的で、藍坊主の声もとても好きだった。
3年生の夏、SOL!でRADWIMPS有心論が流れたのを偶然聴いたとき、
私は人生最大の衝撃で後頭部をぶん殴られる。
2番のサビの歌詞を耳にしたとき、こんな考え方ができる人間がいるのかと心底驚いた。
歌を歌う人になるなら、これぐらい書けるようになりたいと思った。
地球が丸いのは誰かが端っこで泣かないようにで、
誰も命を無駄にしないように命に終わりを作ったのだとか、
目から鱗が5兆枚落ちた。
そして私はRADWIMPSの信者になり、ここぞとばかりに布教活動をした。
盲目な宗教が他人に迷惑を掛けまくる典型例である。

月刊歌謡曲を購読し、コードを使えば簡単に両手でピアノが弾けるのを知った。
これは吹奏楽部で培えた知識が役立ったのもあるのだろうが、
簡単なコードの法則なら割とすぐに理解できたのが功を奏し、
流行りのポップスぐらいなら割とすぐに演奏できた。(なお、人に聞かせるクオリティではない)
私は5年ほどYAMAHAでピアノを習っていたのだが、これがまったく性に合わなかったので衝撃だった。
住んでいたのがド田舎で、家族も厳しかったのでカラオケに行くことが滅多に叶わなかったものだから、
ピアノがあればここぞとばかりに即興伴奏で自己満弾き語りリサイタルをしていたので、
偶然居合わせた人たちはジャイアンに出くわしたのと同じレベルで迷惑だったことと思う。



一方でタイピングのテクニックが抜群に伸びたのもこの頃だった。
小学生の頃、ハム太郎のホームページ見たさで死ぬほど駄々をこねたのが功を奏したのか、
我が家にはインターネットに繋がる家族用のパソコンがあった。
それを使ってはてなダイアリーに登録、中学生らしさ前回の日記を毎日書き始めたのである。
黒歴史満載の記録と引き換えにその日にあったことを毎日タイプし続けたおかげか、私のタイピングスピードは格段に向上した。
南条あやさんのホームページの存在を知り、自分の心の闇を発散する手段を手にしたのもこの頃で、
若くして文章が認められる人に大きな憧れを抱いたりもしたが、
ブログを書く以外にそれといって具体的なことをしていたわけではないので、もちろん日の目は見ることはなかった。
強いて言えば選択国語の授業で小説を書いたら目に留められて学校新聞に載せられたことがあったが、
完結まで持っていく気力がなかったし誰もアドバイスしてくれる人がいなかったので結局未完のままぱっとしなかった。

こんな具合に中途半端にパッとするも調子に乗ってキープできないことの繰り返しで中学生時代を終えることになる。

その後、受験期は数学で大きく調子を崩し(これは今後ずっと足を引っ張られることになる)、
ノーマークだった学校に進学することになるが、これは明日お話したい。





今日の〆

今日は中学生時代の話をさせてもらいました。
結果を残せたことはありましたがキープ力がなく、全体的に中途半端な印象ですね。
人間関係にトラウマを残すエピソードが重なったのも印象的です。

読みづらいお話が続きますが、明日は高校時代以降のお話をします。

今日も読んでくださりありがとうございました。
明日もよろしくお願いいたします。


べにぃ